13th Concert 曲目紹介と訳詞

曲目紹介

1st stage:La Musique Française

フランス音楽を巡る旅は、イタリアやフランスで活躍したルネサンス期最大の音楽家、ジョスカン・デ・プレ〈Ave Christe immolate〉から幕を開けます。この作品は、ジョスカンが確立したとされる「通模倣様式」によるものです。四つの声部がそれぞれに旋律を模倣し合いながら絡み合い、それぞれの声部がメロディとして動きながら様々な響きをつくっていきます(ポリフォニー)。私たちにもなじみ深い長調や短調とは異なるフリギア旋法特有の浮遊感が漂っていますが、「めでたし、御言葉(キリスト)よ」「めでたし、イエス・キリストの御体よ」「民らを贖い給い、十字架にかかり給うなり。」といった象徴的なテキストでは全声で同一の響き(ホモフォニー)を作り出すことでドラマを形成しています。

 

カミーユ・サン=サーンスが《ヴァイオリン協奏曲第3番》(1880年)、《交響曲第3番:オルガン付き》(1886年)、《動物の謝肉祭》(1886年)といった傑作を生み出した1880年代に作曲されたのが《2つの合唱曲 作品68》です。サン=サーンス自身の手によるテキストから、その名の通り2つの合唱曲が生まれました。教会オルガニストでもあった(作曲当時はすでにオルガニストを辞していますが)サン=サーンスの一面が垣間見える第1曲の〈夜の静けさ〉では、夜の静寂と神秘性と昼の喧噪が対比的に描かれます。第2曲〈花々と木々と〉では、自然への憧れが6/8拍子で優雅に溢れだします。

 

合唱でフランス音楽をテーマにしたならばフランシス・プーランクを避けて通ることはできない、というのはそれほど過言ではないと思っています。「礼拝の行為は、楽器の助けなしに、人声の表現手段だけで成立するものです」と語ったプーランクの《クリスマスのための4つのモテット》というアカペラ作品は、彼の合唱曲の代表作の一つと言えるでしょう。その第1曲である〈O Magnum Mysterium〉では作曲家一流の美しい旋律が、時に歯切れよく時にしなやかに流れるリズムと共に奏でられます。

 

2nd stage:みえないことづけ

この文章を読まれている方の中には「全音」とか「半音」という言葉を聞いたことがある人がそれなりの数いらっしゃるのではないかと思います。ピアノのドの白鍵とレの白鍵の間には黒鍵がありますが、ミの白鍵とファの白鍵の間には黒鍵がありませんね。ドとレの間は「全音」でミとファの間は「半音」というわけです。さて、1オクターブの中には12個の半音があります(逆に言うと、1オクターブを12分割した間隔が半音ともいえます)。つまり、ド・ド#・レ…と数えていくと、1オクターブ上のドまでに12種類の音が出てくることになります。

 

閑話休題。工藤直子の詩による混声合唱曲集《みえないことづけ》は、その名の通り『工藤直子さんの詩による大人のための混声合唱曲集を』というリクエストから生まれたそうで、作曲家の三宅悠太氏自身の指揮する合唱団で初演されました。人は皆「みえないことづけ」「にぎりしめ」ながら生まれ、それを誰かに「手渡」してやがて魂のふるさとへ還る―そんな「いのちの円環」を想い音楽が紡がれていったと作曲家は語ります。天から降りてくるような前奏に導かれて「みえないことづけ」を手渡そうとうたう〈あいたくて〉。ふと見上げた天の川から幼い日の思い出とそれから連なる今とこれからに想いを馳せる〈さがして〉。そんな一人称のいのちの流れから身を引いて少し俯瞰的にいのちの円環を眼差す〈いのち〉「五歳のわたし」の回想から、人々のこころが「大きな海」に注いで繋がり合っているという大きなスケールを描く〈そばにいる〉。そして、魂の還るふるさとの如き寂寞と少しの懐かしさをたたえた〈じぶんのための子守歌〉。これら5曲を五度堆積という音のテーマが巡っています。ド―ソ―レ―ラ―ミ―シ―ファ#…と、完全五度と呼ばれる音程で音を重ねていくと、先ほどの12音すべてを巡って、またドに戻ってきます。魂がやがてふるさとに巡り還るように。

 

瑠衣では2年前に別の合唱団との交流のための合同演奏という形で、当時はピース譜として世に出ていた第1曲〈あいたくて〉を演奏しました。その後、13th Concertを準備する中で曲集が出ることを知り、レパートリーとすることを決めました。

「いのちの円環」ではないけれど、様々なつながりが今日の日に導いてくれているのだと感慨に浸りました。

 

3rd stage:祈りの旅路

このステージは「祈り×旅」というテーマで構成しました。洋の東西を問わず、信仰のために旅することは巡礼として神聖で重要な行為とされてきました。3曲それぞれにストーリーの異なる旅が描かれています。

 

デイヴィッド・ベドナル《BC:AD – This was the moment》は無粋に訳すれば「(紀元)前から(紀元)後へ―その瞬間」とでもなりましょうか。後世の人によって紀元前と紀元後が分かたれることになったその瞬間、即ちイエス・キリストの誕生の瞬間をテーマとしているようです。「ようです」という意味は、このU・A・ファンソープの詩ではこうした場面で一般的に用いられるBorn, Christ, Maria, Shepherd…といった単語が表れず、聖書の物語というよりは、それを下敷きとした不思議な絵本を呼んでいるような表現になっているからです。

『ルカによる福音書』によれば、イエスが生まれたのは、ヨセフとマリアがローマ皇帝が命じた人口調査の登録をするためにナザレからベツレヘムへと旅する途中の出来事でした。東方の三博士(ペルシアの宗教の司祭で占星術に通じた者であったともされています)は、星に導かれて、新たに誕生したユダヤ人の王となる方(キリスト)を訪れました。そして、このとき生まれたイエスは神の言葉を伝える旅路を生きることになるのです。旅の途中であり、目的地であり、出発点でもあったその瞬間なのです。


「スピリチュアル」と呼ばれることもある黒人霊歌は、主に18世紀から19世紀のアメリカにおいてアフリカ系黒人奴隷の共同体で生まれた宗教音楽です。元来彼らが有していた宗教的音楽の文化に、白人から導入されたキリスト教が融合して生まれたもので、黒人奴隷たちはこうした霊歌を歌うような宗教的な集会以外では集うことを禁じられていたといいます。〈Deep River/深き河〉は広く知られた黒人霊歌で、奴隷となっていたユダヤ人がエジプトから故郷のカナーンに帰るためヨルダン川を渡ったという旧約聖書のエピソードがテキストになっていますが、ここではオハイオ川を渡って奴隷制のない北部の自由州へ行きたいという二重の意味を忍ばせていたようです。今日歌うブライアン・トラントのアレンジでは、「全てが平和な約束の地」という歌詞で音楽的なクライマックスを迎えます。


ラテン語にoratioという言葉があります。「対話」という意味ですがーおそらくは「神との対話」ということからー「祈り」という意味もあり、宗教音楽では主に後者の意味で用いられます。キリスト教が弾圧された江戸時代にはこれが転じて「オラショ」という祈祷文としてカクレキリシタン達によって伝承されてきました。《おらしょ カクレキリシタン3つの歌》は作曲家千原英喜によれば「カクレキリシタンの伝承歌と中世・ルネサンス期のキリスト教聖歌を素材に、これらを私(千原)の自由なファンタジーによって」結んでいます。グレゴリオ聖歌の素材による「アレルヤ」の声がわたしたちを400年前の時の旅へと誘います。随所に現れる民謡調の節回しは、天草などで漁師やその妻たちの酒盛歌としてにぎやかに歌われていたものですが、信仰のために迫害を逃れて故郷を棄てなければならなかった人々が涙ながらに船を漕ぎ出す場面にも感じられます。

 

4th stage:音楽に込める祈りと願い

「歌う」は「訴う」と同根の言葉である、という説があります。古来より人は様々な想いを込めて誰かに歌ってきたのでしょう。

 

〈Earth Song〉は作曲家のフランク・ティケリが自ら詩を認めて作曲した作品です。多くの音楽作品は、初演される場が決まっていて依頼を受けて作られるものですが、この作品はそうではないようです。イラク戦争に幻滅していた作曲家は自分自身の平和への渇望を表現するものを作りたいという強い個人的衝動に駆られ、まさに「じぶんのため」に書いたのです。「音楽と歌は私の避難所(refuge)だった、 そして、音楽と歌は私の光となるだろう。」とは、音楽を愛する全ての人が共感するフレーズではないでしょうか。

 

〈弦〉髙田三郎作曲の《ひたすらな道》の第3曲で、「弦」と書いて「いと」と読みます。ぎりぎりの力で張られ、爪弾いても、もはや誰の耳にも音として聴こえてこない高さとなった弦。しかし、それでも決して切れたりすることなくぎりぎりの力で踏み耐え、音にならない音を出そうとし続ける…

詩人高野喜久雄は髙田の音楽を「『自分はだれなのか、人間は何なのか』を問いせまる祈りの音楽」であると評しました。人の耳に届かなかったとしても、いと高きところに自らの存在の証があることを信じて弛まず張りつめている、そんないのちでありたいという祈りなのでしょうか。

 

懐かしい旋律がどこかから聴こえてきます。夕焼けの情景は、1日が終わる切なさと家路につく安堵感と在りし日のノスタルジーを綯い交ぜにして想起させます。

1914年生まれの詩人高田敏子は商社勤めの夫とともに戦時中を満州や台湾で過ごしました。「世界が平和なら夕焼けはばら色」ですが、「火の色」「血の色に見えることなどあってはならないと、終戦後40年となる1985年に発表された詩集で平和への強い祈念を表しています。〈夕焼け〉を作曲した信長貴富は広島出身の両親を持つ被爆2世。作曲家は合唱の行為について「今もなお祈念し続けなければならない現実への絶望を超えてゆく意志の表明」であると綴っています。

 

カリフォルニア州立大学ロングビーチ校のボブ・コール室内合唱団は、2015年パリ同時多発テロ事件でメンバーの一人を亡くしていました。彼女の追悼集会の後、ウィンターフェスティバルの準備で集まった合唱団が予定していた曲を歌う気持ちにはなれないと考えた指揮者のジョナサン・タルバーグは練習の冒頭で、数年前に別の合唱団のために書かれていたジェイク・ルネスタッド〈Let My Love Be Heard〉の楽譜を配り、レコーディングを行いました。友人を喪った悲しみと向き合い、それを癒すために。音楽はまるでそのために作られたかのように、喪失の絶望から安堵の光に包まれるように、天使の舞う柔らかな羽音の中で「私の愛を届けよう/Let My Love Be Heard」と何度も訴えます。


訳詞

Ave Christe

めでたし、キリストよ、
十字架の祭壇にて犠牲となり給いし方よ、
贖(あがな)いのホスティアよ、

汝の苦しき死によりて、われらをば、
贖われし者をば、輝かしき光のうちに、
汝とともに喜ばしめ給え、栄光のうちに。

めでたし、御言葉(キリスト)よ、
処女(おとめ)マリアより肉体を受けし方よ、

生ける天使たちのパンよ、
弱き者らの救い、望みよ、
罪人(つみびと)らの癒しよ。

めでたし、イエス・キリストの御体よ、
そは天より降り給いて、
民らを贖い給い、
十字架にかかり給うなり。

善きイエスよ、慈しみの泉よ、
天使らの賛美よ、諸聖人の栄光よ、
罪人らの望みよ、われらを憐れみ給え。

 

Calme des nuits

夜の静寂、夕べのさわやかさ、
広大な世界のきらめき、
漆黒の洞窟のような大いなる沈黙ー
それらはみな深遠なる魂を魅了する。

太陽の輝き、浮かれた陽気さ、騒々しい喧噪ー
最も軽薄な人々はこうしたものたちに気に入られる。

ただ詩人だけが、静寂なるものから愛を向けてもらえる。

 

Les fleurs et les arbres

花々と木々、青銅と大理石、
金と七宝、海と泉、
山と平野ー
私たちの不幸を慰めてくれるものたち。

永遠なる自然よ
お前は苦悩のただ中にあって一層美しい!
そして芸術が我々を支配し、その炎は笑いと涙を照らし出す。

 

O Magnum Mysterium

おお、大いなる神秘よ
称賛すべき秘跡よ、

動物たちさえもが主の生誕を見た、
飼い葉桶の中に横たえられているのを。

幸運な処女((おとめ))よ、
主なるキリストを宿すに値する胎(はら)を備えた処女よ。

 

BC:AD – This was the moment

これはその瞬間のことでした―
その時「前」は「後」に変わりました。
そして、後の時代で時を司っている者たちはこの瞬間に敬意を示すことになりました。

これはその瞬間のことでした―
何も起こらず、
ただ退屈な平和が大地を覆っていました。

これはその瞬間のことでした―
精強なローマ人たちでさえ、
辺境の地で住民の頭数を数えるより他することがありませんでした。

これはその瞬間のことでした―
農夫たちとペルシャからきた3人の無名な博士は天の国へ向けて、星の示すに任せて歩き始めました。

 

Deep River

深き河よ、我が故郷はヨルダン川の向こうに。
深き河よ、主よ、私は川を渡りあのって集いの地へ行くのだ。

おお、その福音の祝宴に行きたくはないか、
全てが平和なその約束の地へ。

 

Earth Song

歌う、在る、生きる、見る…

暗い嵐の時、風がかき乱す。
焦土はむなしく叫ぶ―

戦争と力よ、お前は人々を盲目にさせ、視界をぼやけさせる。
引き裂かれた心は痛みに泣き叫ぶ。

しかし、音楽と歌は私の避難所だった、
そして、音楽と歌は私の光となるだろう。

強く輝く歌の光―アレルヤ!
暗闇、痛み、争いを乗り越えて、
私は歌う、私は在る、私は生きる、私は見る…
平和を。

 

Let My Love Be Heard

天使たちよ、神の光のもとへ舞い上がれ
私の亡くしてしまった鳥を心に抱き、今夜、舞い上がれ。
悲しみが再び天に昇って歌うとき、
私の愛を届けよう、
天使たちの翼の中で囁いて。